2008年11月27日

山陰山陽の旅〜1.宮島へ。

 この度、連休を駆使しまして山陰山陽に行って参りました。結構いろいろなところを回って来たので日記はしばらくの間このシリーズが続くことでしょう。

 まず初日に訪れたのは日本三景のひとつ、宮島です。大鳥居が有名なあの場所ですね。島自体は「宮島」「厳島」のどちらが用いられているのか疑問だったのですが、ほぼ「宮島」で統一されていました。宮島と言うと平清盛と平家納経、並びに日本の合戦史で奇襲戦の代表とも言われる「厳島の戦い(毛利氏×陶氏)」(※1)が有名ですが、やたらとカープびいきの神主さんが居るということでも有名です。

 
 JRを利用する場合、宮島へは「宮島口」駅から宮島航路へ連絡することで渡れる。余談だが宮島航路はJRの長距離切符の区間に組み込むことが可能

 
 宮島への渡し口から見える鳥居

 
 宮島航路の連絡船からの一枚。隣では、若い船員が女の子を口説きかけておりました

 さて、私としては今回珍しく下調べもなしに上陸してしまったのですが、ここでまず驚いたことが二点ほどありました。

 ・案内図によれば、観光場所の範囲が予想以上に広い。てっきり二時間くらいで切り上げるような場所かと思っていたんだけど・・・

 
 ・「本日、施設点検のため運休しております」

 あれ、ひょっとしてタイミング悪すぎた・・・?

 ・

 ・・・気を取り直してロープウェイの場所を確認してみると、どうも目の前の弥山(みせん)という山の山頂まで渡しているらしいということがわかる。おまけに登山道には興味をそそるポイントがあり、そして山頂には「毛利ゆかりの〜」という文字が見える。

 よし、登山決定。

 取り合えず厳島神社と宝物殿を見学して、それからですね。

 
 宮島の至る所にはびこっている鹿。前情報なしだったので余計に驚いた

 ・厳島神社

 
 宮島側から望んだ大鳥居。柱の形はもっと直線だと思っていたのだが、クスノキの一本切り出しだという説明を聞いて納得。贅沢なつくりだ

 
 
 
 どこで撮っても似たようなアングルに成りがちだが、背景に写るものを変えると印象ががらっと変わる。庇が写り込むのもちょっとしたアクセントになって良い

 シンメトリー仕様の素敵な神社。鮮やかな朱色が平氏の隆盛を物語っています。私が訪れた時は干潮に近い状態で、神社はしっかりと陸の上に立っておりました。この神社のどこに居ても大鳥居が見えるという風景は美しいですね。所持金は少なかったのですが、老朽化した板の建て直しにお金がいるということでしたのでいくらか寸志を置いてきました。

 
 社殿では結納が行われていました。さて、チェックすべき所はもちろん・・・

 
 家紋。「丸に違い鷹の羽」は安芸広島(五十二万石)藩主浅野氏の定紋(正確には「浅野鷹の羽紋」と呼ばれる独特なものを用いる」)です。当然、この地域で用いる家系は多いでしょう

 
 参考:「浅野鷹の羽紋」

 社殿の見学の後は宝物殿へ。中は撮影禁止なので写真はありませんが、洋画家・小林千古の「誘惑」という絵は一見の価値アリです(書かれていた女性の服に付いていた家紋も確認したんですが、なんだったかちょっと良く覚えていません・・・)。展示品は複製物が多かったですが、複製とはいえ甲斐源氏伝来の「楯無鎧」の威風を始めて拝見しました。「大袖は冠板の形状が中央稜形の花先形となっている」のもしっかりと確認。戦極姫の武田シナリオでこれを書いたときは書いているほうも始め良くわからず大変でしたから・・・

 

 途中の店で腹ごしらえ。宮島といえば「牡蠣」に「穴子」ですが、出店の関係で私が食べたのは蕎麦でした。注文を待ちながら登山の計画を練っていると、ふとマップにこんなことが書いてあります。

 「日没後の登山道は大変危険ですので、午後3時以降の登山はやめましょう」

 ・・・

 ・現在の時間「14:15」
 ・また、この後広島に戻って極めて本数の少ない芸備線に連絡し、本日の宿へと夕食の時間までに無事に到着するためには、宮島航路便の最終便は「17:25」がリミットとなる。

 ここで、弥山山頂までの所要時間をもう一度確認してみる。

 ・「大元コース:山頂まで約1時間20分」
 ・またロープウェーの事情から、登頂下山とも脚を使わねばならない。

 あれ・・・コレって無謀?

 ・・・

 (蕎麦を啜る音)

 ・・・

 「ごちそうさま」

 「よし、登ったらぁ!!」


 かくして、挑戦が始まった。

 
 実はこの大元登山道、山頂までの所要時間が一番掛かるコースである。しかし、途中に有るという見所スポットに一番惹かれるし、何より山頂手前に厳島合戦の古戦場があるという。選択肢は最早一択しかなし。ひたすら登るのみ。

 またこういうところの所要時間は余裕を持って書いてあるのが普通である。急いで登れば半分〜7割程度の所要時間に短縮できる・・・はず。

 ・・・しかし私は、海抜535mの山を甘く見ていたのである。

 (以下の時間表記は写真のデータに残っていたものです。登山中は時々しか確認してません)

 
 14:35、弥山登山道入口付近。きちんと舗装されており、かなり登りやすそうである。時期も重なって紅葉も見れるし、これは結構順調な滑り出しじゃないだろうか?

 
 14:44、弥山にはむき出しの岩が多数存在し、そのせいか石段造りの道が非常に多い。最初は登りやすかったものの、徐々に石段の一段目が高くなっていく。膝の高さより高いというのもザラ。

 
 
 14:49、見所のひとつである「巨大石」。相当でかい、写真一枚に収まり切らない。高さはゆうに5mはあり、幅となるとその倍はあるんじゃなかろうか。因みにマップで見るとここが大体三分の一地点くらい。

 
 15:02、近くの石碑に「原生林」と刻まれていた通りの風景が続く。時折下山される人を見かけるが皆さん誰も完全な登山スタイル。なお、私の手荷物は手提げカバンだった。これは結構致命的である

 
 15:09、見所のひとつ、「風吹き岩」。穴の向こうから天然の涼しい風が吹いてきており、火照った身体を鎮めてくれる。場所は巨大石からそう遠くは無い場所にあるが、振り返ると経過時間ほどに距離を稼いでいない。いや、ほんとに急なんだってば

 
 15:10、またも発見、くそデカイ岩。コレ全部が岩肌に生えたコケなどで、道が狭いので煽りでしか撮ることができない。距離からいって、ここが「岩屋大師竜穴」だと思ったが、風吹き岩からの位置関係からするとそれはありえないことだった。登山中は気付くべくもなかったですが

 ここまでくると次第に太股が重くなり、意図して脚を持ち上げるようにしないとすぐに足が休んでしまう。写真がないのは登山に必死だった証拠で、頭の中ではずっと「左、右、左、右」と唱えていた。そうでもしないと脚が付いてこない。

 ここで下山の人ですれ違ったので、山頂までの残り時間を聞いてみると・・・

 「あと、30分40分じゃないかねえ?」

 時間を確認すると、登山から既に50分以上が経過している。

 冗談・・・それじゃ地図の所要時間のままじゃないか。これでもかなりピッチを上げて登っているつもりなんだが? 一応、今回の旅行の前に付近の山に通っていたからそこまでへたれない自信はあったのだが・・・恐るべし、弥山。

 とはいえ、ここで引き返す気にもなれない。頭の中に占める感情の大半は意地である。登れ、登れ。

 
 15:15、そして暫くすると「岩屋大師竜穴→」の立て札が見えた。狭く急な下り道が見えたのでちょっと嫌な気分だったが、気を取り直して下っていくと・・・

 
 まさに「竜穴」、岩の中に生まれた天然の穴があり、奥には祭壇が見える。中は暗く、屈まないと入っていけない。侍神にお不動さんの像があるのは確認できたが、主神は暗くてわからずじまい。明かりを付ける気にはなれなかった。間違いなく、ここは厳島神社建立以前から信仰の対象だった場所であろう。今でこそ仏が奉られているが、原始信仰の時代は間違いなく女性のシンボル(つまりは女陰)として奉られていた筈である。竜は男根そのものを差す場合もあり、「竜穴」と言えば言わずものがなである。実に興味深い

 いいものを見せてもらい、テンションが上がった所で再び登山。薄暗い道に岩の塊を時にはまたぐようにして上っていくと、とうとう上のほうから日光が見える。そして・・・

 
 15:19、出た、とうとう日の元に出た! しかも周りにある植物も一転して松などに変わり、雰囲気がまるで別物。どこかの手入れされた遊歩道のようですらある。

 
 15:20、そしてこの道を抜けた先には・・・!

 
 
 15:23、出た! 広い! 高い! すごい! 登山した者のみの胸にこみ上げる圧倒的な開放感。とんでもなく見晴らしがいい。写真だと平面に撮ってしまうためこの展望はなかなか伝わらないだろう。隣の山を見ると、自分の残ってきた山がいかに岩肌だらけだったかがわかる。

 
 15:26、そして満を持しての古戦場、駒ヶ林に到着。脇道に入らないと辿り着けないが、この道も狭くてかなり急、おまけに脇の松葉が襲い掛かってくる。一体いつまで登らせるのやらと、ぐったりしながら登っていったが・・・

 
 
 15:27、その頂上がここ、でかい一枚岩で、他には何もねえ! しかし文句を言っているのではなく、自然の生み出した景勝に感動のあまり異様に昂ぶっているのである。

 
 
 15:28(登山開始から約一時間)、駒ヶ林山頂からの風景。その絶景に自然と歓喜の声が口を付き、はしゃいでしまう自分が居る。元就公、貴方もここで勝利の鬨の声を上げられたのか?

 本当はここでもっと古戦場に想いを馳せたい気分だったが、時間の都合があるのでそうもいかない。駒ヶ林を下り弥山山頂を目指す。

 
 15:36、すると一転して、開けた歩きやすい道が続いていく。今までが今までだったので、なんだか拍子抜けの気分。それまでと違い、普通の格好をした登山客の姿も見るようになった

 
 15:46、付近のお堂等を巡った後、山頂の弥山神社に到着。とてもガタイのいいお坊さんが荷物を運んだりしていました

 
 同15:46、なんでお前らがここにも!? と思ったが、お坊さん曰く「いやあ、鹿は本来山の生き物ですからねえ」と一言。そりゃそうだ。岩肌から岩肌を軽快に渡っていく。これなら一の谷の戦いで九郎判官が見たという鹿の姿も納得である

 
 15:50、弥山七不思議のひとつといわれる「消えずの火」、1200年の永きに渡り燃え続けているそうである。しかしこれは神社の方々のたゆまない努力に拠るものだろう

 
 15:57、展望台に到着。

 
 15:59、展望台の上にて、ひとまず休憩。

 
 
 16:00(登山開始から約一時間半)、展望台からの風景。駒ヶ林よりも眺めは良いが、あそこで得たほどの精神的高揚感はなかった。海の中にうっすらと浮かんでいる棒のような物は牡蠣の養殖場

 
 
 16:02、んじゃ俺下山するよ、元気でね

 
 16:22、下山中、帰りは紅葉谷コースと呼ばれるルートを使用。登山と言うよりハイキング用に作られたようなコースで道も広く、急ではあるが大元コースよりはるかに歩き易い。登山もこのコースを使っていればアレほどの苦労は・・・

 
 16:27、紅葉谷と言うだけあって至る所に紅葉があるが、この辺りの写真はピンボケが多い。膝にかなり負担が来ていたし、かなり余裕が無かったんだと思われる

 
 16:48、麓の紅葉公園に到着。下山のほうが時間がかからないの葉当然だが、それにしても妙に拍子抜けだった

 
 16:59、地元テレビが来ていて中継待ちをしていた。これは丁度中継が始まったところ。辺りが急速に暗くなっていく

 ・・・なんとか、宮島の便には間に合ったようだ。後は町並みを歩いて駅に辿り着けばよかったのだが・・・そこでふと、神社に目を向けてみれば・・・

 
 
 17:05、一転、神社が海に浸かっている! 厳島神社と言えばコレだが、そういえばすっかり忘れていた。この日の満潮は確か22時くらいだったと記憶しているが、それにしてもこの鮮やかな変化は驚きだ・・・

 
 17:07、鹿の一頭が啼いているのを耳にする。そうか、君たちはそういう風に啼くのか

 
 17:08、夕暮れの差し迫る大鳥居。これから後二十分も経てば、完全に真っ暗でした

 
 17:11、行きに寄るのを忘れていた、宮島名物「世界一の大杓子」。露天で牡蠣を食べたかったけど、もう時間が・・・くう・・・

 17:25、最終便になんとか到着。10分ほどで宮島口に着き、目指すは17:47発山陽本線558Mである。広島着は18:15、芸備線三次行き1876Dまでの乗り換え時間は約五分。広島駅のロッカーに荷物を残しているが、ぎりぎり間に合わない時間ではないと思っていたら・・・

 車内アナウンス「広島〜、広島〜、発車までに約四分の待ち合わせをします」


 ちょっと待て、俺の貴重な60秒をどこへやった、お前さんはっ!!?


 ・・・一方通行の改札を潜り、駅ビル3Fを目指すがエレベーターが途中でやたらと止められる。荷物を引っ張り出して改札潜ろうとしたら駅員さんが他の客のせいで時刻表調べをしており此方に気付いて無い。「途中乗車です、いいですか!?」と声をかけようやく通してもらうが、芸備線のホームは9番・・・って、おい、無駄に長いぞ!?

 だるい脚を駆けさせつつ、必死にホームへの階段を下りてみれば・・・

 ・・・

 目の前を電車が走り過ぎていきました。

 ・・・

 ・・・くぅっ・・!(泣)


 ・・・結局、宿の方に頼んで夕食を出してもらうように頼み、19:00発1878Dに乗って向原駅へ。20:06、下車後タクシーを使って吉田口にある宿になんとか辿り着きました。いきなりお世話になります。

 次回は吉田郡山城に登ります。



※1:奇襲戦といえば「桶狭間の戦い」が挙がるかもしれないが、近年では「奇襲は後付けの記述だった」という説も浮上している。また毛利、島津氏にはそれぞれ「西国の桶狭間」「九州の桶狭間」と言われる「有田中井手の戦い」「木崎原の戦い」があったりする。

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